『芥川賞はなぜ村上春樹に与えられなかったか』について
なんか本屋で見つけた。買ってないし、読んでないんですけどね。
芥川賞はなぜ村上春樹に与えられなかったか―擬態するニッポンの小説 (幻冬舎新書)
- 作者: 市川真人
- 出版社/メーカー: 幻冬舎
- 発売日: 2010/07/01
- メディア: 新書
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なんかアマゾンの書評見た感じ、まぁまぁの内容で、あんまし村上春樹自体のことは書かれてないっぽい。んでもこういう問を出すのは面白いことで、実際自分でも考えてみた。以下。
村上春樹は純文学か、大衆小説か
まず村上春樹を考えるときに、作品のカテゴリー分けをしてみた。と言っても蛍・納屋を焼く、ノルウェイの森、風の歌を聴け、世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド一巻、海辺のカフカ途中、そしてスプートニクの恋人途中までというお前やる気あるんかいという村上春樹遍歴なのですが。
実際売り上げ的、浸透率的に考えれば、大衆小説家としての条件は果たしています。んでは純文学だろうかと考えてみても、んーなんだろう、違う。という結論になってしまいます。
これは純文学の定義が時代によって若干変化することがあるからです。それによってなんか混乱をきたしているような。うーん、まぁ分類に明るくはないのですが、しかし国語の教科書などで取り上げられるような作品を純文学というなら、村上春樹は間違いなく違うように思われるのです。
だがちょっと待って欲しい(笑)。一応文豪と呼ばれる純文学作家の作品を見てみよう。前述の本にも取り上げられていた、夏目漱石と太宰治でも引き合いに出してみようか。
夏目漱石の坊ちゃんを出してみれば、読んだことのある人は多いでしょう。青空文庫でも読めますので、読んでない方は今すぐにでも読めますよ!しかも無料で!
太宰治の走れメロスも出しておきましょう。青空文庫でもよめm(略
自分はこの作品が純文学と呼ばれる理由がわからんのです。夏目漱石の文章は確かに平易ながら奥が深いのはわかる。ただ取り扱っているテーマはインテリとの戦いで、爽快感すら与える。走れメロスも横暴なブルジョアな王様との戦いで、すっきりとした爽快感を与える。
これって大衆文学じゃねえの?支持された理由って分かりやすい題材だったからじゃねえの?いやいや、お前は無学だねえ。行間に溢れ出るこの純文学の香りがうんぬん。知ったこっちゃねえよ。
確かに、系統だてて読んだりすれば、違った意味をえられる。というより、人生の中で心豊かで実りある教えを説いている内容であることは理解できる。
まぁこれらは代表作だから分かりやすいだけであって、夏目漱石だったらばこころ、門、それからなどの三部作。太宰治なら富嶽百景だったり、ヴィヨンの妻、トカトントンなどは純文学的だと思います*1。
これらの作品は、文章でしか伝えられない、純粋な文章的な作品だと思います。ま、映像など他の表現でも満たせるのですが、文章であるから秀でている作品たちであると思います。
作家観
こうして見ると、一人の作家が様々な作品を書いていますね。それでいいんでしょうよ。時には真面目であり、時にはギャグも書きたい。人間移ろいます。しかし何だか、純文学作家、とくくられると、崇高で人間的に徳があり、完璧無比のような人間に思えます。そして生涯をかけて純文学とは何か、と突き詰めていそうです。
そんなやつぁいねえよwww夢見過ぎだってwwwそりゃ芥川龍之介は悩みすぎてたり、川端康成は重圧でどうにかなっちゃったしwww
でも彼らは一人の人生を生きておったし、子供ももうけておる(川端康成は子供さんいたっけ……。まぁ弟子の三島由紀夫が成長したし本mあ、三島も自殺してたな……)。人間的幸福を得ている。太宰にいたっては不幸せだったようなお話が何個か残っているが、愛人を何人も作っておったりと、なんだかんだ分かり合える人だったり、一時の幸福を掴んでおったろう。
話は戻って芥川賞
芥川が自殺して、それから菊池寛がそれを偲んで芥川賞を設立して、すったもんだああって直木賞もできた。話によると、芥川賞はあんまりぱっとした賞でなくて、石原慎太郎の受賞をきっかけに知名度を上げたそうだ。
石原慎太郎の作品はまだ読んだことがない。あらすじだけ読んでも胸糞悪くなるから。でも想像するに、大衆的作品なんだろう。若者の享楽的生活を描いたなんて言われている。大衆的だから、読んだことないからで文学史的価値を認めない馬鹿ではないよ自分は。
さて、それ以前の芥川賞の受賞作を知らん。だけれども石原慎太郎の受賞が衝撃的ってことは、明らかに芥川賞が血色を変えたということだろう。つまり、それまでの芥川賞が、地味だけれども連綿と繋がる文学史の縦線を繋げていて、純文学を骨格付けてきたからだろうということ。
変化した芥川賞
つーわけで石原慎太郎の受賞によって、芥川賞が純粋に純文学の到達点を決める賞から、こいつは純文学を書いてますよという箔付けの賞になったと思うのだ。こいつが今の純文学の頂点なんだから、純文学はこういうもんなんだからこう書きなさいよと。あるいは、こいつが純文学を引っ張っていきますからねと。
純粋に文章によって、文学の価値を保ってきた人達からしてみれば、ΩΩΩ>な、なんだってー!!!という感じでしょう。商業的に成功するだけの作品が純文学賞の一角の芥川賞から現れたわけですから。
んで村上春樹に戻る
こうした変化によって、芥川賞は純文学を支えてきたのですが。80年代だか70年代たかに村上春樹が現れた。風に歌を聴けや1973年のピンボールが候補にあがったのですが、こいつの作品を頂点にして、純文学を引っ張って行かれては困ると当時の選考委員は思ったのでしょう。
という思惑はどこから出てきたのかを書きたいんですがバイトの時間になったので行ってきます。つか気が向いたら追記か新しい記事で書こうかと思います。それでは。